1998年6月。
ボクはモーレツに忙しくなっていた。
前回も書いたように、「直接金融」の手法で、資金調達を行うために様々な関門をクリアしなければならなくなったからだ。
まず、第三者が読んでも納得できる(いずれは儲かって、事業として成立するんだろうなーと感じさせる)きちんとした事業計画書を作らなければならなかった。
次に、会社の経理や、役員、社員の情報を事細かに書き記した「会社内用説明書」をまとめなければならなかった。これは、上場企業の有価証券報告書に相当するもので、素人が作るには、かなりシンドイ書類である。
そしてさらに、この書類に書いてあることやパフという会社そのものが適格かどうかを判定してもらうべく、公認会計士の監査を受ける必要があった。
そして最後に、なにやら偉そうな連中で組織されている「審査委員会」で、パフの事業計画をプレゼンし、グリーンシート市場(日本証券業協会の未公開会社専用市場)に登録するための、審査を受けなければならなかった。
会社を作ったばかりの、超かけだし素人経営者には、十分すぎるほど重い課題であった。(というか訳がよくわからなかった)
しかし、パフが既存の就職情報会社と渡り合っていくためには、学生に向けた広告宣伝や、企業の情報を集めるための営業が必要不可欠であり、そのためには、まとまった資金が必要であった。
9月には、再来年の新卒学生(当時だと2000年卒の学生)に向けた、就職サイトを立ち上げようと思っていた。
そして、このサイトの存在を知らしめるべき広告やDMを、8月から9月にかけて集中的に打ちたいと思っていた。
・サイトの開発費用。
・学校に掲示してもらうポスター制作と掲示依頼に回るための費用。
・DMの内容物を制作・印刷する費用。
・DMを送るための学生名簿取得費用。
・DMの郵送費用。
・企業に営業するための営業マンの採用費用と人件費。
ざっとこれだけの費用が、この数ヶ月のうちに発生する。いや、発生させなければ、就職サイトを開設できない。
いろいろとソロバンをはじいてみると、最低でも2000万円のお金が必要であった。
DMだけでも、10万人に郵送するとして、1000万円超のお金がかかってしまうのである…。
なんだか気が遠くなってしまいそうではあったが、とにかくやるしかない!
ところで、この頃のパフのメンバーは…
1.社長兼営業マンであるボク。
2.システム開発担当のO君。
3.経理・事務・雑務全般を担当するYさん。
4.データ入力やちょっとした制作関係をやってもらうWさん(パートタイム)。
の4人であった。
今後、ボクが資金調達のために多くの時間を割かれてしまうことと、数多くの会社に働きかけをしなければならないことを考えると、営業マンがあと数名は必要であった。
しかし……。
できたての会社が「営業マン募集!」なんて広告を出しても、人は来ない。
もとより、求人広告を出すお金がない。
さらにこの時点では、払える給料がない。
ないないづくしで、あった。
そこでひとつ閃いた!
この頃でも、“しゅうかん会社説明会”や“パフの就職相談室”を運営していたおかげで、会員学生(1999年春卒業の学生)が1000人以上は、パフに登録していた。
「よっしゃ。この連中の中から“即席営業マン”を募集してみるか…。
採用広告費はゼロで済むしな…。
仕事に専念してもらうためには、すでに内定をもらって就職活動を終了
した連中がいいな…。
あー、“アルバイト”より、“インターンシップ”の方が、勉強しなが
ら働けるという感じでイメージがいいなー。
なにより人件費が安くて済むぞ!」
なんてことを考えつつ、メールを使って募集をかけてみた。
すると翌日、すぐさま反応があった。
「はじめまして。獨協大学のOSと申します。
御社のインターンシップ募集のメールを拝見し、ぜひ応募したいと思い
メールいたしました…」
おー!来た来た!
ボクは早速面接に来てもらおうと、彼(OSクン)に電話を入れた。
釘 : 「あー、もしもし。OSクンですか?
パフのクギサキですが、メールありがとう!
早速だけど、すぐにでも面接に来て欲しいんだけど…」
OS : 「あ、は・はい!今日、これからでもいいですか?」
非常に実直そうな感じの学生だった…。
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