1998年6月中旬。
当時、獨協大学4年生だったOSくんは、パフの第一期インターンシップ生と
して毎日こき使われていた。
OSくんは、パフと同じ、人材ビジネス業界の会社に内定をもらったばかりの
実直な好青年だった。
「来年社会人として働く前に、同業であるパフという会社で社会勉強しながら
働いてみたい…」
というのが、OSくんのパフへのインターンシップに応募してくれた理由だった。
「ふ・ふ・ふ…。飛んで火にいる夏の虫…」
というのは冗談だが、いろんな仕事をOSくんにこなしてもらう傍ら、ボク
には専念しなければならない仕事があったのだ。
日本証券業協会の未公開株式取引市場(後にグリーンシート市場と命名)に、
登録するための審査を受ける…という仕事である。
前にも書いたが、この審査に通ってはじめて、一般投資家に対してパフの株式
を買ってもらうことができるのだった。
この日のために、分厚い「会社内容説明書(有価証券報告書)」を、会計士や
証券会社の担当者に、「あーだこーだ」言われながら、何回も何回も書き直し
て作成した(幾晩徹夜したことやら……)。
そして、まともに書いたことのなかった「事業計画書」も書き上げた。
明日のこともわからないのに、無理やり「3年先の売上げ計画」まで書かなけ
ればならなかったのは辛かった。
この「会社内容説明書」と「事業計画書」を使ってのボクのプレゼンテーショ
ンを元に、審査が行われる。
審査をするのは、証券会社の引き受け担当の人や、ベンチャーキャピタリスト
と言われる「投資判断」を手がけるプロの人たち。
まーつまり、一般投資家がお金を出しても、最低限許される会社であるか否か
を、この人たちが判断するわけである。
評価のポイントは、大きく次の3点だった。
1.会社の透明性。ディスクロージャー(情報公開)を、きちんとやって
いる、そして今後もやる意思と能力のある会社であるか否か。
2.事業の将来性。成長が期待できる事業内容であるか否か。
3.社長の人間性。信頼できる人間であるか否か。
6月下旬。飯田橋にある、旧労働省の施設を借りての審査会。
10人程度の審査員が、ズラッと居並ぶ前で、ボクはやや緊張しながら、パフ
という会社の今と将来について語った。
すべてを語り終わらぬうちに、審査員の中でもボクと同程度の年齢の人が鋭い
(でも、すっげー生意気な!)質問と批判を浴びせかけてきた。
ボクは内心では、
《そりゃー、アンタの言うことは分かるけど、あんたは所詮このビジネスでは
素人でしょーが!俺は少なくともこの商売ではアンタよりプロだよ!!》
と思いつつも、低姿勢に、穏やかに、わかりやすく説明を重ねた。
しかし、質問(というよりもほとんどがパフへの批判)の嵐は収まらず、双方
が納得できぬまま時間が過ぎ審査会は終わってしまった。
翌日、この審査会の幹事をやっているディー・ブレイン証券のM社長から電話
が入った。
M : 「クギサキさん、大至急、打ち合わせしたいんですが…」
嫌な予感がした。
早速その日の夕方、M社長と会った。M社長は深刻な雰囲気を漂わせていた。
M : 「クギサキさん、結論から申し上げます。 審査会における株式会社パフの
評価はNG。 つまり市場への登録は“×”となってしまいました」
釘 : 「えーー!!そ・そんなーーーーー!!!!!」
資金調達の当てが消え去り、目の前が真っ暗になってしまった瞬間だった。
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