1998年6月下旬のある日。
「クギサキさん、結論から申し上げます。 審査会における株式会社パフの
評価はNG。 つまり市場への登録は“×”となってしまいました」
ディー・ブレイン証券のM社長からの、重い一言だった。
日本証券業協会の未公開株式取引市場(後にグリーンシート市場と命名)に、
登録するための面接審査の結果“×”をもらってしまったのだ。
釘 : 「Mさん、何が一番の問題なんですか?」
M社長 : 「審査員の中で、一人だけパフの登録を強硬に反対する方がいて…
その方の意見が、全体を支配してしまったようです」
釘 : 「ひょっとしたら、あの審査会の場で、色々とパフの事業内容に批判をして
いた、“彼”ですか?」
“彼”は日本で一番エリートが集まる大学を卒業したのち、大手企業でエリー
トコースを歩んできた若手ベンチャーキャピタリストであった。
M社長 : 「んー、まぁ…誰かは申し上げられないのですが…。
ご想像にお任せします…」
釘 : 「どうして、“彼”は、そこまでパフの事業に批判的なんでしょう」
M社長 : 「ひとことで言って、事業の将来性でしょう。
R社が独占する市場では、パフは勝ち目がない、ということです」
M社長 : 「“彼”が生きてきた世界は、パフのやろうとしている“気持ち”の
世界が通用しない、たいへんにロジカルな世界ですからね」
なんとも釈然としない気分だったが、しょうがない。
釘 : 「で、Mさん、どうしましょう。いままでの苦労は水の泡ですか?」
M社長 : 「“パフの将来性、収益見通し”について、釘崎さん、もういちど“彼”
が納得できるようなロジカルな資料を作ってもらえませんか?」
釘 : 「ロジカルですか…。ボクがもっとも苦手とする部分ですね(笑)」
M社長 : 「あとは私がなんとかします。釘崎さん、もうひと頑張りしていただ
けないですか?」
釘 : 「わかりました。納得してもらえるだけのものが作れるかどうか自信はあり
ませんが…ここで引き下がるわけにはいかないですからね(笑)」
……
1週間の時間をもらって、再度パフのビジネスについて、ボクは整理し始めた。
そして、ある程度体系化したものが「パフの職サークル」なのであった。
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