1999年3月27日。
パフの株主総会は始まった。
ボクは震える声で、
「ほ・ほほほ本日議長を務めさせていただきます、か・かかか株式会社パフ
代表取締役のく・くく釘崎でございます。で・でででは、まず、当期の営業
報告を、さ・ささささせていただきます」
と始めた。
実はこの日の総会は、あらかじめ台本が用意されていた。
パフの非常勤役員に、自身で創業した会社を店頭公開させた経験を持つKさ
んという方がいるのだが、そのKさんのアドバイスをもらいながらボクが書
き上げたのだった。
ボクは当初、フランクにお茶でも飲みながら、株主総会をやろうと思ってい
た。ところがKさんから、
「いや、釘崎さん、それではダメです。杓子定規でも、キッチリと進行台本
を作って、あとで株主から言質をとられないように、特に数字に関する報告
はしっかりとやらなきゃダメです。なぜって、パフは公募増資を行って釘崎
さんの知らない方々が、株主の半数以上を占めているわけでしょ。
これは、公開企業と同じくらいの心構えで臨まないと痛い目に遭いますよ」
というアドバイスをもらっていたのだ。
ちなみにKさんは、Kさん自身の力の及ばないことが原因で、数年前、自身
の会社を倒産させていた(注:会社更生法の手続きを経て、会社自体は現
在も存続している)。
創業者でありながら会社を追われるという、我々の想像を絶する辛い経験を
持った人である。会社経営の酸いも甘いも全部分かった人である。
そんな人からの忠告。素人経営者には、ありがたい忠告ではあるのだが、十
分すぎるほどの緊張感を与えるものであった。
ボクは、台本を用意したため逆に緊張してしまい、どもりながら、つまづき
ながら、報告事項の「朗読」を完了させた。
「何かご質問はありませんか?」
緊張の一瞬である。
(なにか質問されたらどうしよう!?)
しばし、沈黙の時が流れた。
「な、何もないようでしたら、これにて報告事項を終了します。続きまして
決議事項に移らせていただきます…」
質問は何もなかった。どーっと肩の荷がおりた。
その後、いくつかの決議事項も否決されることもなく、無事株主総会の閉会
宣言となった。
「これでパフ定時株主総会を終了します。ありがとうございました」
と、宣言した直後、
「あのー、社長さん、株主総会はこれで終わりでいいんですが、総会とは関
係無しに、せっかくですから、今後の社長さんの経営に対するいろんな考え
を聞かせていただきたいんですが…、よろしいですか?」
という発言が、ひとりの初老の株主からあった。
Kさんも、「株主総会は法的に済ませておいて、そのあと、いろんな質問や
疑問に答えるフランクな時間を設けたらいいですよ」と言っていたが、ま
さにその事を、ひとりの株主から提案されたわけだ。
ボクは無論、「そ、そうですね。では、これからはフランクな形で、皆さん
からの質問をお受けして、出来る限りのことについてお答えしていきたいと
思います」と答えた。
堰を切ったように、いろんな質問が飛び出してきた。
それはそうだ。自分の大事なお金を投資した個人投資家達だ。他人のお金
を扱う機関投資家とは本気度が違う。しかし、本気である反面、とても温か
な質問ばかりであった(蛇足だが、機関投資家は概して冷徹である。数字と
実績だけの世界で、人情などとは無縁の世界にいるのが機関投資家だ)。
最後のほうは質問というより、どうやってパフの事業を軌道に乗せていった
らいいか…ということを語り合う場になっていた。
…なんていうことだ。業績の悪さを責めるどころか、皆さん前向きに将
来のパフを語ってくださっている…。
株主総会を、なんとか無難にやり過ごそうとしていた自分が情けなかった。
正午になった。貸会議室の制限時間が来てしまった。
まだまだ意見は出そうな気配だったが、これで終了しなければならない。
「みなさん、本日は本当にありがとうございました。きっと近い将来、みなさ
んの期待にこたえられるような会社にパフを育てていきます。今後とも叱咤
激励をよろしくお願いします」
こうして、パフの生まれてはじめての株主総会は終わった。
帰りに耳打ちしてくれた初老の株主の声が印象的だった。
「社長ね、無理して公開やら(とか)せんでも(しなくても)いいからね。
ご自分の理念にしたがっていい仕事してください。応援しとりますから…」
自分は、なんて恵まれた経営者だろうと思った。
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