2000年11月11日(土)。
場所は福島・飯坂温泉の旅館の一室。
内定者4名を引き連れての、パフ初の社員旅行の夜に、その事件は起きた。
夕食後、「皆でトランプでもやろう!」ということになった。
「大富豪、大貧民」、「ババ抜き」などお馴染みのゲームの後、
「うすのろ・ばか・まぬけ」などというゲームをやった。
ボクは、このような品のないゲームのことは、今まで知らなかったが、大阪
出身のフルカワが、「社長っ!これは、おもろいでっせ。皆でやりまひょや」
と、いうものだから、やってみた。
確かに面白かった。というか、何度も「うすのろ」にされてしまい、
僕の闘争心に火がついてしまった。
「よっしゃ、じゃ、今度はポーカーやろう。どうせなら賭けようぜ!といっ
ても現金はマズイから、マッチ棒を、コインに見立ててやろう♪」
昔、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の映画
「スティング」を見て以来、トランプといえば、ポーカーだ。
ポーカーには、今回の旅行に連れてきた我が娘(当時小学校3年生)も
仲間に加わった。
一方、内定者のアサヒは、「マッチ棒でも賭けは賭け。僕は賭けごとは一切
やりません」。キッパリとこう言った。ある意味、立派な奴だ。
「よし、じゃ、アサヒは銀行だ。利息をつけて、マッチ棒を貸し出すんだ」
なんだか本格的になってきてしまった。
皆、真剣に、カードをめくった。
ポーカーは、要は「騙しあい」。いかに自分は強いポーカー・ハンド(役)
を作っているか、ということを、相手に思わせた人間が勝利する。
だから極端な場合、「ワンペア」も出来ていない手なのに、「フルハウス」
などの強い役に勝つこともある。
逆に、度胸のない奴は、どんなにいい手を作っていたとしても負ける。
相手の顔色を観察しながら、コインをさらに場に積み上げるか、棄権するか
を判断する。このドキドキ感が、ポーカーの醍醐味だ。
「ポーカーフェイス」という言葉も、このポーカーから生まれた言葉だ。
何回かゲームを続けた結果、ボクは早々とコイン(マッチ棒)をなくしてし
まった。大した役も出来ていないくせに、突っ張って、マッチ棒を積み上げ
てしまった結果だ。「ポーカーフェイス」には成りきれない。
フルカワも、「見せかけの強気」は、すぐに見破られ、すでに破産していた。
うちの娘は慎重派。負けそうな手のときは、早々と棄権していたので、まだ
マッチ棒がたくさんあった。
また、他のメンバーも、まだまだマッチ棒が残っていた。
「これでラストにしよう!」と、カードを配った。
フルカワは、うちの娘の脇で、参謀役を務めていた。
フルカワが、にわかに騒ぎ出した。
「アヤちゃん(娘の名)、これスゴイ、絶対イケルわ!」。
よほどいい役だったのだろう。慎重派の娘が珍しく、マッチ棒を積み上げる。
他の皆は、そんな娘にひるんだのか、気を遣ったのか、「降ります!」と棄
権していった。ただひとりを除いて…。
そのひとりとは、タカノリだった。
奴だけは、棄権せずに、マッチ棒を対抗して積み始めた。
1本。また1本。さらに1本。どんどん積み上げる。
うちの娘と、まさに1対1の勝負となっていた。
「アヤちゃん、大丈夫やわ。タカノリの奴、たいした役もでけてへんクセに
突っ張っとるだけやわ。アヤちゃんのこの手やったら、絶対に勝つって!」
娘は、その言葉を信じてさらに一本。とうとう上限まで積み上げたのだった。
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