1980年4月。一年間の貧しい浪人時代を経て、僕が入学した大学は、東京
の港区にある「明治学院大学」というところ。
正直言って、僕はこの大学のことを入試直前まで知らなかった。たまたま入試
日程を組んでいるときに見つけた大学なのだ。
ローマ字で知られるヘボン博士が創立した大学で、実はとても歴史のある学校
だ。文系学部しかなく学生数も少ない。キャンパスも小さい。僕が通っていた
大分の高校くらいの広さしかなかった。
入学金も授業料も、私立大学とは思えないくらい安かった。また、奨学金制度
が充実しており、貧乏な学生にとって、とても優しい大学だった。
そんないくつかの特徴が、僕にはとても好印象だった。第一希望の大学がダメ
だったら入ってもいいかな、と思える大学だった。
僕が受験したいくつかの大学の中で、いちばん最初に入学試験があったのが、
この大学だ。
2月中旬の寒い日だった。都営浅草線の高輪台駅から10分ほど歩いたとこ
ろにある白金キャンパスで、僕は入試を受けた。
比較的すいすいと問題が解けたのを覚えている。合格しただろうなぁと思った。
試験が終わり、正門を出るときに後ろを振り返った。こじんまりとした、綺麗
なキャンパスである。
でもこの時僕は、「このキャンパスに来ることはもうないんだろうなぁ。いい
雰囲気の大学だったな。また何かの機会があるといいな」などと思っていた。
というのも、数日後に入試を控えた早稲田大学に、僕は入学するつもりでいた
からだ。入試も終わっていないのに、なんて図々しい奴だろう。
でも、結果的に一ヵ月後、僕は明治学院大学の門を、入学手続きをするために
再度くぐることになる。早稲田大学への不合格を知った直後の、無念の入学手
続きだった。
しかし、この明治学院大学への入学がなかったら、間違いなく今の僕はない。
大学と大学での生活。大学時代に知り合った多くの仲間たちが僕に与えた影響
は、はかり知れないくらいに大きい。
次号以降のコラムは、この明治学院大学に通っていたころの話が中心となる。
15番目の素晴らしき出会いは、16番目以降のたくさんの出会いを提供して
くれた愛すべき僕の母校、明治学院大学でした
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