ときは1982年2月。大学2年生の後期試験が終わった直後、僕は九州に帰
省した。
僕の帰省先は、大分県の湯布院。東京駅から博多まで新幹線で行き、そこから
久大線というローカル線(なんとディーゼル機関車)に乗り換えて2時間半ほ
どかかる。
でも、僕はこのとき、久大線のディーゼル機関車には乗らず、湯布院とは正反
対の方向にある、長崎方面に向かう特急電車に乗りこんだ。
長崎には、中学3年生のときの同級生のKが住んでいた。Kは僕よりもずっと
勉強のできる奴だったが、高校卒業後、大学へは進学せずに長崎の郵便局に勤
めていた。
Kは家庭の事情で、国立大学一本に進学を絞っていたのだが、運悪く入試のと
きに体調を崩して受験に失敗してしまった。それで進学ではなく「就職」とい
う道を、高校卒業後に選んだのだった。
僕は、このKに久々に会うために長崎に立ち寄ることにしたのだが、僕にとっ
て長崎は初めての街。Kと再会後、一緒に市内観光をすることになった。
まず最初の行き先。南山手のグラバー邸に向かうときのこと。僕たちは、後ろ
の人から声をかけられた。
「イクスキューズミー?」
外人さんだ。しかも3人もいる。東南アジア系の人たちだということは、すぐ
に分かった。
僕は、車掌のアルバイトをしていた「はとバス」で、しょっちゅう外人さんの
相手をしていたこともあり、英会話への恐怖感があまりなかった。喋るのは苦
手だったが、相手の話すことならなんとなく分かったし、こちらが伝えたいこ
ともボディランゲージと単語の繋ぎあわせで、なんとかなっていた。
・・・ということで、体当たりの会話の結果分かったこと。この外人さんたち
は、フィリピンの船乗りさんたち。前日、佐世保に入港し、この日はオフで長
崎の市内観光をしてるという。で、僕たちに声をかけたのは、「美味しい長崎
ちゃんぽんの店を知ってるか?」……ということだったのだ。
僕とKは、このフィリピンの船乗りさんたちと一緒に、「長崎ちゃんぽん」の
店を探すことになった。(後編に続く)
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