「もう、ぜんぶ釘ちゃんに任すよ。頼んだよ!」
そういって初めての新卒採用を任せてくれたS社のO社長。にもかかわらず、
結局誰一人としてこのS社に応募する学生はいなかった。当然、内定者はゼロ
である。
僕がS社からいただいた広告費は、『ドブに捨てた』のと同じになってしまった。
そして、重大な決心の言葉をO社長に伝える日がやってきた……。
「O社長、よかったら僕を採用しませんか?」
新宿の少しだけ高級な居酒屋だった。O社長は目を丸くしていた。
そりゃそうだ。リクルートの営業マンから、いきなり「自分を採用しないか」
なんて言われるとは夢にも思わなかっただろう。
もうひとつO社長をビックリさせることがあった。
「実はいままで隠していましたが、僕はまだ大学4年生。つまり新卒採用して
いただける学生なんです」
「なにー? 入社二年目って言ってたじゃん!!」という感じだった。
#僕は、「まだ入社2年目の売れない営業マンでして。えへへ」と言いながら、
自分が大学生であることは、ひた隠しにしていたのだ。
そして、このあと数ヶ月に渡っての、いろんなスッタモンダ(主には親兄弟か
らの猛烈な大反対)があったのだが、僕は大学卒業後、本当にこのS社に入社
することになった。
釘崎青年、当時弱冠23歳。親や兄弟ばかりか、友人にも無謀だと言われた。
バカかお前は、と言われた。現実が分かっていない、と言われた。
でもそう言われるたびに、「コンチクショー、おまえらを絶対見返してやるか
らな!」という闘志が湧いたものだった。
・・・・・
「その1」から「その5」まで、ずいぶんと長く引っ張ってきたが、このS社
のO社長との出会いがなければ、いまの僕のキャリアは絶対に築かれていない。
いま思えば、かけがえのない出会いだったのだ。
でも…。正直に書こう。その後10年くらいの間には、この出会いをずいぶん
と恨んだり後悔したりしたこともあった。
本当にかけがえのない良い出会いだったと、心から思えるようになったのは、
僕が自分で会社を創ってからのことだ。
そのへんの話しは、きっとこれからこのコラムを書き進めるうちに明らかに
なるであろう。
ということで、素晴らしき37番目の出会い。僕のキャリアの第一歩を築く
きっかけとなった、S社のO社長との出会いでした。
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