F社本社の販売促進プロジェクトから、全国の各支店の営業マンに対して、コンピュータの新しい売り方のヒントを提供するための会議。
いよいよ僕の発表の順番となった。
丸2日かけて作ったプレゼン資料の半分は漫画。ストーリーの原作は、F社の優秀な営業マンのAさん。漫画を描いたのは、F社入社2年目になったばかりの若手プロジェクトメンバーTくん。僕は、その原作と漫画をアレンジしながら演じるプレイヤーという役割だった。
僕は演台に登る。目の前には各地の営業部課長が100名ほど、ずらっと並んでいる。
「こんにちは!Sプロジェクトのクギサキです。丸の内の10Fにいます。僕の本籍はディーラーのM社なんですが、Sプロジェクトの成功の為にやってきました。ちょっと前までは制御システムのSEをやってました。なので、この分野にはちょっとうるさいです。皆さん、どうぞよろしくお願いします!!」
こんな感じの挨拶を、あらん限りの大声で行った。すると、目の前の営業部課長のクスクスという笑いの声とともに、小さな拍手が聞こえてきた。
お、なんてことだ。それまでの発表では静まり返っていた場内なのに。目の前の営業部課長が皆、笑顔で僕を見上げてくれている。
俄然、調子に乗ってきた。
AさんとTくんと一緒に作り上げたプレゼン資料のスライドをめくりながら、渾身の力をふり絞ってのプレゼンを一気にやり遂げた。
そして、『ぜひ売ってください。何かあったらクギサキまでいつでもお電話ください!!』という情熱を込めての挨拶で締めくくった。
大きな拍手が沸き起った。なんとも言えぬ達成感。感動した。プレゼンのストーリーと資料を一緒に作り上げてくれたAさんとTくんのおかげだった。
この日を境に、全国の支店の営業マンたちから僕への営業支援の要請が相次いだ。
商談への同行やイベントや展示会への出展協力などで、北海道から九州まで。行かなかった都道府県のほうが少ないくらい全国各地に出かける毎日だった。そして各地で、モーレツに凄い営業マンたちに触れることになった。
・・・・・
F社は、昭和30年代以降、日本国家が国内の情報産業を発展させるべく推進した政策とも相まって、国産大型コンピュータメーカーの盟主として驚くべき急成長を遂げた会社である。
しかし、僕が席を置いていたころのF社は、それまでの大型コンピュータ一本槍の戦略では立ち行かなくなっていた時代であり、コンピュータのダウンサイジングやオープンネットワーク(いま僕らが普通に利用しているパソコンを中心としたコンピュータ環境のこと)の時代の流れに、明らかに乗り遅れていた。
そんななか、現場の若い社員は皆必死に頑張っていた。F社のビルは『不夜城』であると言われていたのだが、ホントに24時間働く社員も珍しくなかった。
僕のいたSプロジェクトも、皆本当によく働いていた。それ以上働いたら死ぬんじゃないか?っていうくらいに働いていた。たいへんな問題意識と危機感と使命感に支えられた若き戦士たちだった。
僕はF社に来るまで、大企業で働く社員に対して『どうせ単なる歯車じゃないか』という、ちょっと馬鹿にした意識を持っていた。しかし歯を食いしばって頑張っている彼らを見るにつけ、日本の産業を支えているのは、紛れもなく彼らなんだな、と考えを新にしたものだった。
Sプロジェクトは1年後解散となり、僕もF社を後にすることになった。僕は以後、コンピュータ業界から足を洗い人材業界に戻ることになるのだが、この1年間のプロジェクト経験は、僕にとっての大きな財産となっている。
20代最後の年に出会ったF社の優秀な社員たち。井戸の中の蛙だった僕に、日本の大企業の凄さを実感させてくれた40番目の出会いでした。
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