M商事の泉田さん、杉村さん、浦田さんの3人の人事マンたちは、パフの活動
のあらゆるところで、惜しみない協力をしてくださった。
ひとつには大学への広報。M商事は、学内で開催される総合商社業界セミナー
などで講演することが多かったのだが、そのとき、パフの話しをしたり、パフ
の小冊子を配ってくださったりしていた。このことは、後にパフのイベントに
来てくれた複数の学生から聞いた。「パフは絶対いいから使いなよ」と勧めて
くださったという。
ひとつには他社への営業協力や商品企画。たとえば、M商事とならぶ総合商社
であるM物産を巻き込んだ企画(かなりいい線までいったのだ、結局実現しな
かった)を一緒に考えたりした。「なにか面白いこと、新しいことを一緒にや
りましょう」と、いつも話しをしていた。
ひとつにはパフのイベントの企画と出演。1999年2月に、パフの初の大型
イベント『キミは就職できるか』を開催したのであるが、初期の企画(ブレー
ンストーミング)の段階からご協力いただいた。もちろん広告宣伝活動や、当
日の出演もだ。
また、このころ新聞や雑誌にも取り上げられることが多かったのだが、それは
M商事が協賛企業だという「信用」があったからだ。「M商事が協賛だったか
ら」という理由で、パフに参画してくれる会社も多かった。
このように、創業時の何の実績もなかったパフにとって、M商事の存在はとて
も大きく、ありがたかった。しかしそれは、M商事という会社が単に大きな有
名企業だったからではない。泉田さん、杉村さん、浦田さんという、温かく熱
い人事マンたちが、自社の仕事を超えたところで、惜しみない協力をくださっ
たからだ。この3人との出会いがもしなかったら、今のパフはなかっただろう。
しかし、出会いがあれば別れもある。
浦田さんは、1999年に人事を離れ、最前線の営業現場へと異動となった。
泉田さんは、2001年にアメリカに転勤となった。
杉村さんも、2001年に採用の仕事を離れ、そして2004年にアメリカに
転勤となった。
皆、バラバラになってしまったのだ。
寂しくもあったが、皆さんそれぞれに、活躍のフィールドを移し広げていかれ
ることは嬉しかった。
そして、別れがあれば再会もある。
泉田さんは、一昨年帰国し、グループ会社の役員に就任した。就任するや否や、
そのグループ会社の社長を僕に紹介してくださった。そして、このグループ会
社はいま、パフの名物協賛企業になっている。
杉村さんは、いまでもアメリカで活躍しているが、一昨年、僕のほうから会い
に行った。現地(ニューヨーク)でたいへんなおもてなしを受けた。超デカの
ロブスターを食べに行ったり、大リーグの試合に連れて行ってくださったりし
た。
浦田さんとは残念ながら再会できていないのだが、今回のこのコラムの執筆に
あたり「実名掲載」の了承を得るために僕が出したメールに、いちはやく快諾
のお返事をくださった。出会いの当時は新人だったのだが、いまや前線で大活
躍する中堅の商社マンだ。
またいつか、この3人と昔話を肴にしながら、一緒に酒を酌み交わせたらなあ
と思う。
ということで、素晴らしき出会いの62番目が浦田さん。63番目が杉村さん。
64番目が泉田さん。創業時のパフにとっての大恩人。M商事の(元)人事マ
ンたちのお話しでした。
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