今回の『素晴らしき100の出会い』は、さる2006年11月3日(金)にご逝去さ
れた、東映の元常務である矢澤昭夫さんの追悼コラムとさせていただきます。
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3日(金)の午後のことだった。休日だったこともあり、ひとり有楽町に映
画を観に行ったその帰り道。携帯にメールが入っていることに気がついた。
見ると休日出勤している梅木と、自宅にいたカミさんから、それぞれ同じ悲
しい報せ。
「東映の元常務、矢澤さんがお亡くなりになったとのことです…」
びっくりした。まだ72歳。ご病気だということも知らなかった。本当に突
然のことだった。
矢澤さんは、僕がサラリーマン時代、そしてパフを設立するとき、たいへん
お世話になった人であり、大きなご恩をいただいた人。奇しくもわずか3ヶ
月前、このコラムでも矢澤さんのことを取り上げたばかりだった。
⇒<第84話> 「東映の男気溢れる常務取締役」
/member/column/kugi05/Colkugi_084.html
そして、前回のコラムでは、スナック『のろ』のことを取り上げたのだが、
この『のろ』に一番最初に行ったのも、矢澤さんとだった。コラムを書きな
がら、矢澤さんが楽しそうにカラオケを歌っていた姿を思い出していた。
⇒<第97話> 「癒しのスナック『のろ』のママ」
/member/column/kugi05/Colkugi_097.html
『のろ』に行ったのは、パフ設立直後(丸9年前)のことだった。サラリー
マン時代、僕は矢澤さんにとても可愛がっていただいていたが、一緒に飲み
に行ったのは、後にも先にも、このとき一回きりだった。
後から東映の人事の方に聞いて知ったことだが、矢澤さんは、飲みに行って、
カラオケを歌ったりする人ではないそうだ。「よっぽど矢澤常務は、釘崎さ
んと飲みに行ったのが嬉しかったんでしょうね」と言われたのが、いまも心
に残っている。
その数ヵ月後、パフの設立パーティーを日比谷の中華レストランで行ったの
だが、この時のスピーチも矢澤さんにお願いしていた。矢澤さんは他の用事
が入っていたにも拘わらず、快くスピーチを引き受けてくださった。その日
の用事の前後の時間を調整してパーティーに駆けつけてくださり、心温まる
スピーチを披露してくださった。
会社が設立されて3年目のころだった。パフが学生向けに開催したイベント
『キミは就職できるか?』の就職相談コーナーで、矢澤さんに無理を言って
就職相談員をお願いしたことがある。このとき矢澤さんは、すでに東映の役
員を引退されており、東映アニメーションの相談役の立場だったのだが、や
はり二つ返事で、僕のわがままなお願いを引き受けてくださった。
2003年3月末の株主総会の日。突然、矢澤さんは、月島にあったパフの事務
所に顔を出してくださった。総会が始まる1時間以上前だったので、久々に、
ゆっくりとお話することが出来た。今から考えると、顔を合わせてお話しを
したのはこのときが最後だった。
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サラリーマン時代、そして会社(パフ)創業時と創業後、矢澤さんにいただ
いたご恩はとても大きい。特に会社創業時、僕にかけてくださった優しい言
葉の数々と、父親のように優しい眼差しを忘れることができない。
矢澤さんとの出会いは、僕にとって間違いなく、かけがえのない『素晴らし
き出会い』だった。
この原稿を書いている数時間前、世田谷にある斎場で、通夜のご焼香をあげ
てきた。祭壇に飾られた矢澤さんの優しい笑顔の写真から、「おい釘さん、
まだまだ若いんだから、しっかり頑張んなさいよ」という声が聞こえてきた
ような気がした。
矢澤さん、いままでお世話になり、本当にありがとうございました。どうぞ
安らかにお眠りください。
矢澤昭夫さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
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