釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第120話> 「三菱電機ビルテクノサービスの二馬さん(後編)」   2007/04/16  
 
「よし、これでやりましょう!!」

このひとことから、二馬さんとパフとの太くて長いお付き合いが始まった。

2001年夏のことだった。この年は、パフ創業の地、新富のオンボロ雑居ビルか ら、月島(佃)に移転した年だった。また初めての新卒社員が入社してきた年 でもあった。

それまでの僕ひとりでやってきた時代を終わりにし、若い社員たちを育てなが ら、本当の意味での『会社』を創っていこうと動き始めた最初の年だった。

三菱電機ビルテクノサービス(以降、ビルテクノと略させていただきます)を 最初に開拓してきたのは、この年の新入社員であるアサヒだったが、実は彼は その年の12月で退職することが決まっていたため、ビルテクノの担当は、内定 者であるムラカミカズミに任命した。

ムラカミはこのとき大学5年生であり、残した単位も殆どなく、大学に行く必 要もなかったため、ほぼ毎日パフに出社してきていた。

ムラカミは、まるでビルテクノの社員であるかのごとく、二馬さんに密着しな がらビルテクノの採用の仕事に従事することになった。

ホームページ制作のための取材、会社説明会の運営、それから日々の採用事務 全般の仕事、地方への出張も含めて、すべての仕事をシーズンが終了するまで、 まるごと請け負った。

いくら内定者だとはいっても、こんな大事な仕事を、まだ学生の身分の者に任 せてしまうなんて普通のことではない。ましてや、仕事がら保守的にならざる をえない“人事”の人たちにとっては、アンビリーバブルなことだ。

しかし二馬さんは、このアンビリーバブルなパフの仕事のさせ方を、喜んでく れた。いや、“面白がってくれた”というほうが正確だろうか。なにしろ、い わゆる「人事」っぽくない人なのだ。『コトナカレ主義』が大嫌いで、正しい ことは正しい、おかしいことはおかしい、悪いことは悪い、と声高に言うこと を旨としているような人なのだ。

パフの大きなイベントに、『1分間自社紹介』といって、自社PRを数百名の 学生の前で行うコーナーがある。参加している企業の皆さんは、各社工夫を凝 らして自社の説明を1分間で行う。

しかし二馬さんは、このコーナーでも異彩を放つ。自社のPRをやらないのだ。 学生への就職アドバイスを突然やったり、世の中の就職と採用のあり方のヘン なところを論じたり、「だいたい会社の人事なんてものはねぇ…」と、自らの 立場を批判してみたり……。僕らがポカンとしたり、腹を抱えて笑ったり、冷 や汗をかいたりすることを言いだす。

「だって会社の宣伝なんかしたって、学生は聞いちゃいないし、面白くもなん ともないでしょ?」と平然と言ってのける。

そんな人だから、パフのイベントでパネルディスカッションをやるときには、 いつもパネリストとしての出演をお願いする。二馬さんがいると、他のパネリ ストたちも本音にならざるを得ないので、ディスカッションが必ず盛り上がる のだ。

3年前に制作した学生向けの『より良い就職のために』というDVDにも出演 してもらった。現在の採用と就職を語ってもらたのだが、歯に衣着せないお得 意の『二馬節』が炸裂した。しかし、発言内容があまりに刺激的だったため、 一番面白いところは残念ながら編集でカットされてしまった(苦笑)。

パフで新しい企画を実施するときには、必ずといっていいほど、二馬さんが誰 よりも最初に関心を示してくれる。そして「いい!」と判断したものについて は、実績などお構いなしに、いの一番に参画してくれる。

『チャレンジする』、『仕事を楽しむ』ということを、身をもって僕たちに教 えてくれる人なのだ。

パフの若い社員達はもちろんのこと、パフの協賛各社の人事担当者の皆さんに も大きな影響を与えてくれた二馬さん。創業4年目の、新しいパフが走り始め たころに出会った大切な人だ。77番目の出会いである。
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